「近似」と「モデル化」について考えてみた(というよりかは、調べてみた)

ひょんなことから、統計学を人に教えることになった。
正規分布やらなんやらかんやらを教える際に、近似というものを教えようと思ったときに、ふと思った。

「近似」と「モデル化」ってどう違うんだろう

Wkipediaでとりあえず調べてみました。

近似 複雑な対象の解析を容易にする為に細部を無視して対象を単純化する行為
モデル化 理解を助けるために興味のある本質を残して対象を簡略化する行為
                       Wikipediaより一部抜粋

目的が違うようだ。
近似で言えばπ = 3.14159265...を3.14で近似する。というようなもの。
だって、π = 3.14159265...で計算をしたら、とても大変だから。解析を容易にするためにというのも納得だ。

モデルとはなんだろう。
 自分の分野では、よく心理モデルとか学習モデルとかそういうものがあげられる。等身大の人間の中でも、「学習」とか「ストレス」といったある特定の興味の範囲を残して対象を簡略化している。さらに、「学習」の中でも「記憶」というものを取り上げたりするものだから、モデルって言うものは、全体からしたらとても狭くて小さいところにフォーカスを当てているんだな。

記憶モデルには有名なもので、こんなものがあります。

二重貯蔵モデル(多重構造モデル)dual storage model(Atkinson and Shiffrin,1971 )
 
実際のところ、記憶という現象(行為)において、生身の人間(動物も)にはそのときの体調やモチベーションや環境などいろいろ関わってくる。けれど、モデルではそういうものはばっさりカットしている。あくまで、興味の範囲(ここでは記憶)だけ残している。

純化と簡略化という微妙な言葉の違いを考えさせられてしまうね。

いろいろ調べていていたら、同じことについてとても分かりやすくて詳しく説明しているブログを発見した。

読んでみると、なるほどーと思った。
哲学的な話のようで、自分があまり知らないことだったけれど、この違いってとても重要なんだな。

近似とモデルって違うものであるけれど、利用することができる。とても便利。でも、使い方を間違ってはいけないみたい。